轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

もめんいぜんのこと

木綿以前の事

柳田 国男

木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页

青空文庫

「忌む」という語ともとは多分一つで、特殊に昂奮する日でもあれば、同時に特別に戒慎すべき日でもあった。酒が無くては男たちにはその心理状態が得られなかったのである。しかもその酒がいつでも有ったわけでなく、造り酒屋の一般になったのは、京都附近ですら足利期の中頃、それも奈良とか河内の天野とかの、おかしな話だが御寺から譲ってもらうものになっていた。それが追々にヰナカと名づけて、ただの農家に醸してあるものが貯えまた贈答せられることになって来たのである。寺以外の造り酒の管理は、始めはすべて女性に属していたのである。秋の終りになると秋祭があり、また原料の米が豊かになる。それを甕の中に作り込んで、その一部分を正月の用に、また或る量を京への土産などに残しておくほかは、多くの家々ではその折り限りにみな飲んでしまったのである。祭や祝宴の翌日を瓶底飲み、または残酒などと称して、女までが集まって飲食したのは、つまりはその酒が、時に入用なだけしか造られなかった証拠である。

女が酒の醸造を掌ったことは、近昔の文学では狂言の「姥が酒」に実例がある。無頼の甥が鬼の面を被り、伯母の老女を脅して貯えの酒を飲むのである。