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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「いけない、いけない! 金吾ッ帰れ」

二人の巣としている錦霜軒――船見山の山蔭さして、後をも見ずに駈けだしました。

「あとを閉めておけ。戸を。戸を……」と息をきって錦霜軒の中へ駆け込んだ万太郎の気ぶりは、何ともタダ事ではありません。

「どうなさいました、若殿」

金吾は合点がゆかないので、座に着くとすぐにこう訊ねましたが、

「水を……」

と、彼の色は紙より白い。

裏の流れへ出て、掛樋の水を器にうつして来ますと、万太郎はそれをグッと飲んで、

「ああ、驚いた」

と、初めて人らしく呟きました。

「実に、意外でございましたなあ、折角、組み伏せた怪しいやつの面を見てやろうとした途端に、いきなり若殿が駆け出されたので、金吾には、何が何やら一向理由がわかりませぬ」

「いや、そちの驚きはまだしもの事よ、この万太郎は、生れて以来、あのような意外な目に会った覚えはない」

「とはまた、一体どうした理で」

「力闘して、やっとわしがねじ伏せたあの覆面じゃ」

「はい」

「そも、何者かと、そちは思う?」

「分りませぬ」

「吉宗じゃ」

「げッ、……将軍家」

と言ったまま、金吾も色を失って、さすがに二の句もありません。