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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
そこの小座敷には、初期の浮世絵師が日永にまかせて丹青の筆をこめたような、お国歌舞伎の図を描いた二枚折りの屏風が立て廻されてあって、床には、細仕立の乾山の水墨物と香炉には冷ややかな薫烟が、糸のようにるるとのぼっていました。
「おうお蝶か。きょうは来ぬかと思うていたが」
ふと見ると、屏風の蔭に、友禅の小蒲団をかけて、枕元に朱羅宇のきせるを寄せ、黒八を掛けた丹前にくるまッていた男がある。
日本左衛門です。――むっくりと起きて、
「一風呂浴びて来るから、待っていてくれ」と、手拭をとる。
「ええ、ごゆっくり」
お蝶はニッコとしながら、袴腰の若衆すがたで、何もかも打解けた世話女房のように、あたりの物を片づけます。
この額風呂の庭には、植込みもかなり多いので、離れの一棟も母屋からは見透されません。手拭を持った日本左衛門は、軽い庭下駄の音を飛び石に遠退かせて、向うに白い湯気をあげている風呂場の中へかくれました。
それを、濡れ縁の端から見送っていたお蝶は、彼の姿が隠れると、キッと眼くばりを変えて、部屋の四方を見廻しました。
しかし――衣桁にかかっているのは、常に彼の身につけている黒の衣服と一すじの白博多で、そのほかは、床の幅であり、乱れ筥であり、これと言って変った品も目にとまりません。