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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

先の影は、すでに天守番長屋から銅塀のミネへ移って、本丸の大屋根へと必死によじ登っているのです。

「あれよ!」

思わず叫んだのは、望楼の上の吉宗と万太郎でした。

天地は暁闇。

遠い辰巳の海の境が、かすかに曙いろの一線をひいているばかり。

そこから見れば、目の下は、御本丸大奥から大本丸の表方まで、海のごとき甍の波です。万余の坪もあろうかと思われるこの大屋根、天下、ここより壮観な屋根というものはありますまい。

甍は露に濡れていて、徐々に白む暁闇の明りが、そこを、脱兎と駆ける一人の男をあざやかに見せている。

われを忘れた吉宗は、欄を打って側にいる松平源次郎に叱咤しました。

「助勢をよべ! 旗本どもを呼び返せッ」

しかし、ここに至って万太郎は、やや自分の立場を盛り返しました。彼は溜飲をさげつつそれをこう言って制したのです。

「あいや、あまりお騒ぎなさらぬ方が得策でしょう、かりそめにも天下の首城が、一盗賊に足痕を印された事さえ名誉ではありません。まして、あなたが大統をうけて以来日も浅いうちに、かようなことが華やかに世間の語り草となっては、新将軍のかなえの軽重を問わんとする者がないとも言えません。