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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「なあに、江戸の場末には、ありがちなことさ」
「ちょッと、この花櫛が気になるじゃねえか」
「そこの切支丹屋敷に棲んでいる娘ッていうのが、あぶれ者に巻かれていたんだ」
「ふウん……」
「武家の娘だろう、懐剣でその仲間のわき腹を突いていた。だが仕舞にゃ取ッちめられて、あべこべに突き刺されそうになったところを、うしろから馬春堂先生が、そいつを蹴とばしてやったというだけの話で、あとは濡事にもなんにもならずさ。それで安心しただろう」
「はてな、こんな花櫛をさすような娘が、あの山屋敷の中にいたろうか」
「すらりとした美い女で、お前がいたら定めしどうかしたかったろうよ」
「年ごろは」
「八か、十九。背があるからもう少しにも見える。何しても、今時の娘の度胸のいいにゃ驚くなあ」
「そうか、ウーム……」と、伊兵衛は花櫛を懐にねじ入れ、立ち上がって馬春堂の出足を止めて、
「ちょッ、ちょッと待ってくんねえ」
ひょいと振分を渡されたので、馬春堂は何気なく、肩にそれを預かりますと、伊兵衛はフワリと自分の合羽まで脱いで、かれのうしろから着せかけてやった上に、
「どうだ、あったかいだろう」
と一ツ背中をたたきました。