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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
それも、自分の帯とか春着の小袖とかならばとにかく、洗い張りをした二官の袷を仕立て直しているのですから、お蝶としてはしおらしい。
こういうところにも、かの女の鋭い才気というものが見れば見られまして、白い指に持たれている針が緻密に早くチクチクと運ばれてゆきます。
少しも倦怠や遅渋というものがない。
かの浅草の巷をあるく時の眼ざしや日本左衛門の手をのがれた素早さや、獄門橋で脅迫された仲間に匕首を酬いた時のすごい動作などというのも、深く観れば、一分一分キチキチと袖の縫い口をきめてゆく運針のうちに、おのずから現れていないこともありません。
しかし、それは元より、かの女がたれにものぞかせぬ秘密な半面で、小縁にさす蝶の影にも気をとられず、針仕事に他念のない姿をながめる目には、まったく優しい、気だてのいい、押絵を坐らせて見たような美い娘で、
「二官もしあわせ者だ、あの縹緻で、ころびばてれんの娘という素性さえなければ、たいした玉の輿に乗るんだろうになあ」
と惜しがる世評に間違いはないのであります。
それだけに、二官がお蝶を愛していることもまた想像外です。お蝶は、この山屋敷の囲いの外のあこがれに生きていますが、二官は束縛された境遇を窮屈とも思わず、お蝶によって生きている。