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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「しッ! ……たれか来た」
ヨハンは突然、豹のように身を起して、
「黒衣、黒衣……。お蝶さま、あなたの身をねらッている怪しい人間が、私の目にはありありと見える。早く、この山屋敷を逃げ出しなさい」
――でなくともお蝶の心は、さっきから追い立てられているように、頻りと胸が動じています。
父のあんな死にざま。
あれを山屋敷の役人に見せないわけにはゆかない。
当然、きびしい調べがあろう。白洲へつき出されれば勢いそれからそれへと、身の疑いが明るみに出て、自分の罪もあばき出されるにきまッている。
オオ、龍平の首が、獄門台の上から呼んでいるような。
――夜光の短刀の奇しき話に気をとられている間は、そんなおそれもふと忘れていましたが、ヨハンが突然、
「たれか来た」
と、あわてる声に、お蝶も一緒にビクッとして、鉄窓の前を離れながら、別れをつげて、
「じゃ、お別れよ、ヨハンさん」
ヨハンは開かぬ牢の格子へすがりついて――
「体を。体をな……。お蝶様」
「大丈夫、私は、死にゃあしないから」
「お待ちください。そして、二官殿の死を犬死となさいますなよ。ヨハンも、あなたが夜光の短刀を探したという知らせを聞くまで、どんな事しても、骨になっても、きっとここに生きております」