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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

高麗村の御隠家様がおッしゃった。――次郎よ、道中は嬢の体を何分たのむぞ、今年は、おまえがついてゆく番なので、わしも大きに安心じゃ――と。

「さあ、一大事」

彼も責任感に責められました。

温泉郷の平和な日になれて、毎日、日金山へ蜂の巣や鳥の雛子ばかりさがしに行っていて、もしやの事があった場合は、何といって、御隠家様の前へ出よう、あの高麗村へ帰ってゆこう。

次郎は草を蹴って、野づらを斜かいにスッ飛びました。そして、横磯の海辺に立ち、左右の浪打ち際を見渡しましたが、

「ウーム、見えないぞ」

と、太い息でうめくばかり。

潮のけぶる長汀に、まだ明るい残照の陽かげが、ところどころ、夕霞を破ってはおりますが、次郎の視線のとどくかぎり、月江様らしい人影は見当りません。

「どこだ、どこだ。おいらのうちのお嬢さまは?」

次郎は波うち際を韋駄天となって駆けだしながら、

「月江さまア」

と、大声を張りあげましたが、その声には、一脈の哀傷と不安なものがカスれていました。

――駆けるほどに、呼ばわるほどに、暮れかけている横磯の長汀は、またたくうちに、次郎の飛ぶ足のうしろとなって流れ去りましたが、かくてもまだ、その人に似た姿は先に見えません。