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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
ひ――ッ……という傷手をふくんだ声が千鳥ヶ浜をかすれて行きましたが、一瞬の剣風をかわして、お粂の影がまたドドドドと砂地の浜をこけつまろびつ、死に身になって逃げ廻るのが、黒く明るく、潮煙と月光のなかに見える。
白い刃のさきに、ほんの、口紅ほどな血は塗りましたものの、一太刀にやり損じて、しまッたと急き込みながら、その悲鳴を追ッかけ追んまわす日本左衛門。
親分という貫禄の上に、かなり自省心を強めていた男ですが、こうなるとかれも痴情におどる一個の凡夫にすぎません。
初めは、足にからまッた厄介な蔓草をあしらうくらいな気持で、女を見ていられましたが、理智の鯉口を切ッた以上、もうそうではありません。
千鳥ヶ浜の広さと、鬢髪を逆になでる海風とが、人殺しの快味をあおるのではありますまいか、――また、刀を呼びよせるような女の悲鳴と、刀につられ込んでいくかれの血を好む本能も、因果な一筋の糸になって、断然、お粂の白い体を斬りきざまなければ承知しない。
が、しかし。
そうしたかれの白刃が、お粂の背後へ憎念の風を切ッて迫ッた時には、意外な危機が、女の身よりも、かえってかれのうしろへ急迫していたのです。