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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「あ……」

「つまり貴殿はその一人」

「ま、ま、待って下さい」

「もうここへ参った以上、泣いても喚いても無益でござる」

「……お助け下さい」

馬春堂は、にわかに立ったり、すわったりして嘆くが如く泣くが如く、わけの分らぬ事を叫んで、グルグル部屋の中を廻りはじめましたが、給仕の郷士ふたりは、素早く酒器や膳を下げて杉戸の口へ、例のとおりピンと錠をかけたきり、二度と姿を現しません。

馬春堂の桃源夢物語はさめました。もう日記どころではない、空想どころではない。頬杖ついて頤を長くしているどころの騒ぎじゃない。

何ぞ知らん、ここへ来てからの御馳走は、生き胆の精をつけるためであり、下へもおかぬもてなしは、胆薬の材料とする自分をして、いい気持に油断させておく方法でありましょうとは。

「もう間がないといったぞ、もう二、三日のうちだといったぞ。ちぇッ……一体どうしたらいいんだ、この馬春堂」

さんざんもがき疲れた末に、どっかりと腰を折って坐りこみましたが、ふしぎに涙も出てきません。

すると、たった一つの明り取りの窓から、ひょいと、見なれぬ者が眼だけ見せて、

「馬春堂」

と、小声で呼んでは首を引ッ込め、またしばらくすると、