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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「けッ!」
とばかり久米之丞の頭を蹴飛ばし、なおも塵や煤を煙のように落しましたからさすが白刃を取っては自慢な男も手がつけられず、
「おのれ、どうしてやろうか」
と、屋根裏を睨んでいるところへ、
「曲者、曲者!」
「それ、橋廊下の向うへ」
「お出合いなさい、曲者だ! 曲者――ッ」
と、不意に、向うの長廊下を馳けめぐる物々しい人声。
久米之丞はあわてました。
おそろしく素早いやつ、さては、もう何処からか屋外へ逃げ出していたのかと錯覚を起して、錠口の方へ、引ッさげ刀で馳け出しましたが、馬春堂の方は、実はその間に初めてホッと虎口をのがれ、小屋組みの梁を力に、肩をもって柿葺の屋根板を突き破ッていたのです。
「伊兵衛ッ、助けてくれ――ッ」
と呼んだのはその時。
地獄で仏、吾を忘れて大地へ飛び降り、何を叫んだのか何を言われたのか、一切夢中で二人とも屋敷の外へ逃げ出しました。
かかる間に高麗村の次郎は、例の般若の仮面をつけたまま、長廊下を馳け歩いて、
「お出合いなさい、お出合いなさい!」
と告げて廻る。
すでに夜宴の場所には唄も囃子もありません。
あまたの郷士たちは、みな押ッ取り刀で八方へ馳け出し、あとの空虚には、燭も白け渡って、杯盤の狼藉と阿佐ヶ谷神楽の者が五、六人残って、そこにウロウロしているばかり。