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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「お、相良金吾か!」

と声をかけて驚く面前に立ちはだかりました。

ゆらりと仰がれたのは、広い肩幅とつばの深い編笠。で、

「今日はとうとうムダ骨折りだったな」

さびのある声が嘲ける如く笑ったものです。

「な、なにッ?」

「おれは、いつぞや推参した日本左衛門。切通しの晩の返礼は、充分うけてくれたようだな。しかし、今日は御苦労だった。屋敷へ帰ったら万太郎殿という坊ッちゃんに、よろしく言っておいてくれ」

「ウーム、おのれッ!」

かッと燃えあがる血気にまかせて、編笠の用意も思わずに、飛びかかッたのは金吾に似げなき不覚です。

夕月を斬ッた水の如き光は、編笠の肩をはずして、黒髪堂の床柱へ、ズンと深く食い込んだまま牙歯のように立ち、かれは大地に弓なりに仆れています――言うまでもなく日本左衛門に袖をくぐられた当身! あばらを折られていなければ僥倖なのです。

「ばか奴!」

高く笑った声を消して、その姿は、表の石段から浅草の灯の巷へ向って、夜の鳥かとばかり早く走り去ってしまう……。

金吾はビクともせずに仰向いていました。夕月を散らす椎の木の露が、やがて、かれの眉をも袖をもビッショリしとらして行くであろうと思っていると、どこかで、ギイ……と桟格子の開く音がする。