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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
今――楽屋口へ廻ってきた所で、バッタリ顔を見合いましたが、そのわずかな機会には、妙な疑心がよけいに働いて、いっそう記憶をつかむことができない。
だが、金吾の空覚えが決してあやまちでない証拠には、伊兵衛の顔色も鮮やかに変っている……
とは言え、伊兵衛の方でも、やはり誰というハッキリした驚き方ではなかったのです。
不意に、楽屋裏のむしろを上げて、白い手甲脚絆の男が、無断で目のまえに立ったのと、その容貌を見たせつなに、常には忘れていたような古傷がひらめいたので、意味なくハッとしただけのものであります。
なぜか、馬春堂が袖を引ッぱるので、伊兵衛は金吾を流し目に見ながら小屋の裏手へ飛び出して、
「何だい今の男は、小屋のなかをキョロキョロ見廻りやがって、うさんくせえ奴じゃねえか」
もう一度小屋の方を振顧ってつぶやくと、馬春堂スタコラとお先に歩いて、
「知らないのか、あの男を」
「見たような奴だとは思うんだが……どうも胸にうかんで来ねえ」
「お粂がさんざん可愛がった男さ」
「えっ、旅先でか」
「なあに、江戸でさ」
「江戸で? ……江戸でとすると相良金吾じゃねえか。あっ……ちげえねえ!」