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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
静かで明晰で、しかも何か強い力をふくむ彼のことばは、聞くまいとしても、どうしても、耳に拒むことができない。
そうしておりんは、刃をのんだように、全く色を失っているのみでした。
嘘だ、嘘だ、と心で強く否定していながら、おりんはこの間うちからの肉体の変化を、おののきの奥に、思い出さずにはいられません。
「そして、あの翌日だが」――と相手はなお身ぶるいの出るような低声をつづけて、
「おれは秩父へ出て行ったのさ。少し、たずねている者があってな。――そのあとで、おまえは多分、あの空屋敷へ礼に出かけたろうと思う。しかしその時は、おまえとおれと、ふしぎな夢をむすんだ、あの昼の蚊帳があったばかりで、誰もあそこには居なかった筈だ」
「もう……そんな口から出まかせは、言わないでください。けがらわしい」
「というて――見た夢を、おまえは何で拭い消すか」
「知りません、そんなこと!」
涙も出ない口惜しさにちがいありません。けれど、彼に向ってそう激しくいい返したことばも、忌わしい疑いにくるまれて真っ黒なものを胸に抱いてしまった彼女には、なんとしても、泣くに泣けない、弱々しい反抗であるのをどうしようもないのです。