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もめんいぜんのこと
木綿以前の事
柳田 国男
木綿以前の事「女性」1924(大正13)年10月、何を着ていたか「斯民家庭」1911(明治44)年6月、昔風と当世風「彰風会講演」1928(昭和3)年3月、働く人の着物「旅と伝説」1936(昭和11)年7月、国民服の問題「被服」1939(昭和14)年5月、団子と昔話「ひだびと」1936(昭和11)年3月、餅と臼と擂鉢「社会経済史学」1934(昭和9)年1月、家の光「家の光」1926(大正15)年2月、囲炉俚談「文学」1935(昭和10)年3月、火吹竹のことなど「知性」1939(昭和14)年4月、女と煙草「ひだびと」1939(昭和14)年2月、酒の飲みようの変遷「改造」1939(昭和14)年2月、凡人文芸「短歌研究」1934(昭和9)年2月、古宇利島の物語「短歌民族」1933(昭和8)年5月、遊行女婦のこと「俳句研究」1934(昭和9)年4月、寡婦と農業「農業経済研究」1929(昭和4)年10月、山伏と島流し「俳句講座」1932(昭和7)年8月、生活の俳諧「第一高等学校講演」1937(昭和12)年12月、女性史学「実践女学校講演」1934(昭和9)年7月、女性史学「民間伝承」1936(昭和11)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 177,586 字 · 348 页
二
しかも燃料の節約が必要になって、いわゆる囲炉裏を罷め土の竈を専用するようになれば、どんなに息の強い爺の禅門でも、この竹無しには火を吹くことができない。そうして、中央の平坦部の農村が、煮炊きを竈でするようになったのも久しいことであった。
二
遠州の浜松附近には、火吹竹をフキツボという方言が今でも行われている。是から推測するのは吹竹の一つ以前、何かまた別種の器具が行われていたのではあるまいかということである。竹の筒でも壺と謂えないこともないが、そう名づけるのにもっと適切な、或いは瓢のようなものを曾ては利用していたのではなかったか。たった一本の竹を節をかけて切り、底に小さな穴をあけるだけの考案ではあるが、竹の得られぬ土地も全国には随分多く、錐は殊に家々に具わった道具でない。その上にこんな小さな穴をあけただけで、火を吹く呼吸が調節せられるということも、そう安々とは心づく法則ではないのである。後から考えればこそ何でもない話のようだが、最初は是でも発明であり、または幸福なる発見だったのである。群馬県の一部には、また火吹竹をタウブキと謂っている処もある。タウは大抵は著しい改良、以前あったものに若干の変更を加えて、一層の便宜を得た場合の讃辞のようになっているから、或いは是もまた唐吹壺の下略であったかも知れない。