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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

お粂はいつまで顔をあげず、日本左衛門も黙然と苫舟の縁に腕ぐみをしたままで、千鳥ヶ浜は更けてゆきます。

「お粂! 面をあげろ」

やがて、こう口を切った日本左衛門。

のッしりと、小舟の縁から立って来て、月光の中に倒れている女の姿をジロリと流し目に――

「なぜ顔を上げない? なぜ早く両手をついて詫びないか。最前、おれの述懐も聞いていたろうに」

声のさび、陰にすご味はありますが、言葉は常と変りなく、

「てめえが金吾をかくまっていたことは、この春、おれもたしかに茶の間の襦子窓から見届けていた。――がその時はワザと帰って、率八を使いにやり、その晩捕手の手が入ることを知らせてやッたなあ、おれとしてはかなりな我慢……。その情けをば、てめえは甘く受けとッたな」

いう語調の少しもせかぬ如く、おッとりとした片足の草履が、砂のまま、静かに女の肩へ乗りました。

憎いやつ!

そう思って踏みつけるほど、そこに力がはいッているのではありませんが、理もあり情もある片足の下から、お粂はのがれることはなし得ませぬ。

「おれは甘い。いかにも、もろい人間だと、自分でも合点はしている。しかしおれがもろいのは人情を対手とする時で、女に甘えと受け取られちゃあ少し困る。