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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
長崎に、温泉の山に、大村の刑場に、殉教の美しい血を惜しまなかった幾多の聖徒の名をけがす破廉恥漢!
それはみんな汝の名だ!
と――遠い羅馬の人々には知られなくとも、かれは常に頭の上から、神に罵られているが如く感じて責められるのでしょう、――今も机に暗い顔を俯向けました。
その机の上には。
こくめいに文字をつめた書類や綴文がいっぱい。
何かと見ると、辞書の草稿です。
幕府の儒者、筑後守新井白石にいいつけられて、聖書の洋語を拾って和訳することが、ここ数年、かれの仕事とされていました。
「ああ、また自分で気を腐らせた。忘れよう……及ばないことを」
気をとり直して筆を持つと、
「二官殿」
と、その時、形ばかりの竹垣をめぐらした裏口から、落葉をふんで、ひとりの同心が、
「よく精が出るのう。もう陽が暮れるのに、そんな薄暗い所で根をつめては毒ではないか」
と話しかける。
南天の枝へ六尺棒を預けて、くつぬぎ石から投げるように、縁へ腰をおろしましたが、それはやはりこの囲い内に住む同心組のひとり、河合伝八と分っているので、べつに顔も上げないで、
「……こうして夢中になって書物をしている間が、私には、無上の楽しみでございますから」