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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
それを嗅ぐだけでも怖ろしい麻酔に落ちるものを、紫のビードロからこぼれた薬液は、お粂の襟から胸元をぐッしょりとぬらしていました。
「ウーム、とうとう自殺たわえ」
と、九兵衛は彼女の仮死のからだを膝に寄せたまま、
「やっぱり人間だ。江戸の女だ。悪党の上ッつらには染まっていたかも知れないが、お粂にもいいところがありましたよ」
つぶやくように、そう言いました。
金吾も白蝋をみるようなお粂の顔にジッと目を落として、
「ふびんなやつだ……」
思わず、ふびんということばを、この時彼の口からもらしました。それは恐らくまにあわせの歎声ではなかったでしょう。妖婦、毒婦、と今日までその呪いを憎みながら、また殺そうとまでしながら、半面には、そのふびんということばに現された心が、金吾自身も気がつかない心の一隅に、力づよく根を張って潜在していたのではないでしょうか。
今の年になって、悪行の生涯から翻然と気もちの転じてきている九兵衛には、何だか、お粂の行為が、ひとしおあわれに見えました。
「この強い魔薬をあびたか飲んだかしたところをみると、死ぬ覚悟をきめたのでしょう。考えてみると、金吾様を思っていたことも、おそろしいほど真実だったのでございます。