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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
ふすまへ走ッた血潮の細粒が、朱を吹いたようにパッと冴えて見えた途端に、千蛾老人のからだは前に俯伏して、
「ううムッ――月江ッ……月江……」と二声ほど、悲痛なうめきをもらすなり畳に爪の音を立てて、鬢の霜の毛に断末のあえぎをそそけ立てていました。
老年であり、日本左衛門の腕ではあり、ただの一刀でも、たまろうはずはありません。ビクと、最期のけいれんを両の拳にふるわしたかと見ると、もう横顔はサッと死色に変って、まったく絶息した様子です。
血糊をふいた長船の刃を、そろりと鞘にいれると、日本左衛門の手は机の上にある樟板の図面へのびて、それを横に持つと同時に、ふッ……と短檠の灯をふき消して、その一間から音もなく踏み出しました。
そして――
長廊下をさぐり長廊下を忍んで、最前の戸口から外へ出ようというつもりであるらしい。
ところが、折悪しく、その向うの一室から、手燭を取って起きて来た武士があります。……まずいと、舌打ちをして、日本左衛門が身をかがめて眺めていると、北の屋の物音を怪しんで目をさましたらしい相良金吾が、
「はてな? ……」というような様子で、彼の居る方へ足を早めて来ました。