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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
それに、あなたという人があれば、一層私は気を強くして、少しでも永くこの世に居てみたいと思います」
そう言いながら二人共に、何となく、寸前の運命に儚い予感を持ち合っているらしく、酒にも深く酔えませんでしたが、思慕の情はかえって濃密な気持を双方に起こさせました。
「おう、暮れて来た」
日本左衛門はふと切窓の夕星を見て、何かにわかに気を急かれて来たらしく、
「夜になると、出かけなければならない用事があるんだが……お蝶、また折を見て訪ねて来てくれ」
今日の首尾を惜しみながら、お蝶も夜になると切支丹屋敷にいるヨハンの姿が目に見えて来て、じっと落着いていられない気持に急かれて来るのでした。
「じゃ、またそのうちに」
と眼で誓って、彼女が先に男のそばを立った時です。――慌ただしい率八の跫音が、どどどどッと来て納屋の外へ衝かったかと思いますと、
「親分ッ、手が廻った!」
と廂に火のついたような彼の絶叫であります。
さてはと、さすがに胸をギクとさせて、男女が顔を見合わせたまま佇立んでいますと、途端に、そこの戸を開けた率八が、
「親分、今のうちです、早く舟の方へ」
と顔色もなく、舌をふるわせて急き立てました。