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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

そこでこんな場合に、その切ッ先に当って行くような愚な目明しはありません。

「おッと! あぶねえ」

ひらりと横ッ飛びに逃げ退いた釘勘は、所詮、手元に近づき難いものと見て、十手を口に預けるが早いか、前の捕繩を輪に手繰って、その分銅の先を、鶺鴒の尾のように微かに振りながら、機を見ています。

がしかし、日本左衛門は二度とは寄って来ませんでした。

彼は片手の長船を少しずつ手元に納めて、一歩一歩と後退がりにお蝶のそばへ寄って行きますと、

「慌てることはねえ。日本左衛門が付いている」

囁きながら、彼女の手首を右腕の脇へ抱き込みました。そして、片手の切ッ先は、いつか、釘勘と次郎の野槍へ等分な注意を配りつつ、なおジリジリと川波の白い洲の方へ退がッて行くのです。

そのうしろには、猪牙舟がある。

しかしその時――深川河岸の方からと永代の川番所の方から、紺色に黒ずんだ宵の大川に灯をかざして、早くも漕ぎ迫ッて来る幾艘かの櫓声がします。無論、釘勘の手配による捕手を乗せた小舟でしょう。

けれどもまた不思議なのは、紙干し場の原やその辺の小屋の蔭に、合図を待っている人数です。

今の呼子笛が聞こえないはずもなく、次郎と釘勘が苦闘に陥ちて、すでに長蛇を逸しそうに見えるこの場合になっても、何処からも、一人も駈け寄って来ないというのは何とも合点が行き