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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

けれど、塀を越えて抜け出したところを見れば、まだその行状は相変らずなものと見えます。身なりは、絹の光の冷やかな着流しに紺足袋ですが、さすがに同じ黒の羽織は掛けていて、秀鶴頭巾のかぶり振りに見るも、この恰好ですいぶん仲の町あたりの夜更けをうろついたものにちがいない。

「寒い……」

肩をすぼめて急ぎ足に、かれがそこを離れてゆくと、藪のかげからまた一人の男が、

「――万太郎様、しばらく」

と曲ってゆく孟宗藪の抜け道を追って、

「万太郎様、万太郎様」

呼んでゆきますが声が低い。

それをいい事にして先へ行く万太郎は、耳のない振りをしていよいよ大股になる。

ええまずい!

外にまで張番を付けておくとは、まるでこの万太郎という者を囚人あつかいだ。

ままよ、面倒くさい、打ッちゃらかして行けという気なのでしょう、そのまま御行の松の先から横丁へ影を隠して、やがて上野のすそから山下の通りへ出ました。

久しぶりで万太郎、娑婆の夜景にのびのびとして、雪踏を軽く擦りながら町の軒並を歩きますに、茶屋の赤い灯、田楽屋のうちわの音、蛤鍋、鰻屋の薄煙り、声色屋の拍子木や影絵のドラなど、目に鼻に耳に、ふるるものすべて偉大な欣びでないものはありません。