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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

今も、庭の裏口から、宿の草履をはいて外へ出た月江は、磯からくる風に黒髪を吹かせて、それへ軽く手をあてながら、

「おりんや」

と、涼しい目を細めて呼ぶ。

「はい」

「お前はほんとに人なつこいね」

「なぜですか、お嬢様」

「だって、あんなお侍様に、いきなりお風呂ですか――なんて声をかけるのだもの」

「ちッとも突然ではございません、私は、もう朝夕ごあいさつをしているんですから」

「まあ……」と仰山に、

「おまえはいつのまに、あのお侍様と御懇意になっているのかえ」

「ホホホホ……お嬢様ッてば」

「何がおかしいの」

「わたし、御懇意にしたからッても、べつだん何でもありゃしませんのに」

「だから、何でもあるといやアしないのに、お前こそ、よッぽどおかしい」

「お嬢様こそ、よッぽど妙です」

「いいよ、おりん。旅先だと思ってたくさんおいじめ、高麗村へ帰ったらお祖父様にいいつけてあげるから」

「あら、お怒り遊ばしたんですか。――お嬢様そんなに早く行かないで」

「いいよ、いいよ。お前はあッちへ行って、相良様とたくさんお話し!」

くるりと身を廻して、温泉宿の垣の根にさいている、連翹の花をむしりとって、おりんの笑くぼへぶっつけました。