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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「前の方?」
「はい、代が変っておりますよ」
と、かみさんの綺麗なおはぐろ歯が笑みこぼれる。
聞いてみると、店は居抜でトウから売りにかかッていたが、先で急に値段を見切ったので、この人々は俄に今朝金の取引をすまし、ここへ移ってきたばかりだとのこと。
明け渡した新助や浪人の住居は、どこへ変ったか、主人でも居なければ……と極めて曖昧な話に、金吾は、しまった! と叫びながら菅笠を持って往来に飛び出しました。
「あっ、もし!」
かれに続いて四ツ目屋の露地から、ひとりの男が手をあげて、
「もし、お侍さん、お侍さん」
草履が砂をとばしたが、金吾はカッとした気味で、耳にも入らず早足に横丁から雷門の裏小路へぬけてしまう。
「もしッ、お侍さんてば!」
やっと、その男が先の袖をとらえ得たのは、観音堂の境内、いちょうの葉に水の見えない池のそばで、
「ああ、息がきれた……」と胸をたたきながら小腰をかがめ、
「少しお話したいことがあって、四ツ目屋の露地から追いかけて参りました。恐れ入りますが、向うの淡島堂の裏へ、ちょッと、お体を貸して下さいませんか」
と、甚だ馴々しい物腰であります。
不審な目を瞠って、金吾はまずこの唐突な町人に一瞥を与え、おもむろに考えたことには、ははあ此奴、四ツ目屋の露地から出てきたといえば、或いは鼠賊の中の一匹ではないか