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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「オオ、貴様は道中師の伊兵衛! そこうごくなッ」
と、大声に、吾を忘れておどり立ちましたから、伊兵衛は元より阿佐ヶ谷神楽の連中も、あっと、総立ちに仰天して、たれの気転か、酒やら水やらザッと燃え火へぶっかけるなり、てんやわんやに逃げ散りました。
さて、話がかわります。
――例の馬春堂先生の身の上をちと伺いましょう。
去ぬる月の朧夜に、銭瓶の穴から捕えられて、奇怪な侍に広野の果てへ引っさげられて行った先生。
その後、あの長い顔が、息災なりや否や。
卦を按じますに、まだ生きております。今、彼のいる地点は北武蔵野の一角、入間川を距ること遠からず、秩父から武蔵へ通う山境、鳥首峠が遙か西の方に見られる峡谷の一部落。
四時鳥鳴き、花咲き、潺湲たる水音と静かな山嵐――、そして、機織りの歌と梭の音がどこかにのんびりと聞こえている。
高麗の郷、高麗村。それはすなわち、ここでした。
そこに、入間へ落ちる渓流を前にし、青い峯をうしろにして、広やかな芝生の荘園を抱き、法然作りの門構え、古風にして雅致ある南画のような邸宅がある。
村の将軍様――というくらい。ふしぎな権力のある御隠家の屋敷がそれです。