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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「ちぇッ」

と、金吾は歯ぎしりをかむ。

市へ来ては素人はまるで唖にひとしいくらいなもの、まして、盗ッ人市に於いてをやです。どうする術もない。下手なことを叫べば、自ら、真人間を自白するようなものになる。

「ウウム、弱った!」

腹の底でうめいていると、その時また、うしろの小声が甘い襟おしろいの匂いをふくんで、

「サ、早く引かないと、横合いからさらわれてしまいますよ」

と、お粂が見すました止めの値頃を符牒で教えてくれたので、金吾はその通りに二声ほど呼ぶと、ポンと、首尾よく面箱はかれの手に落ちましたが、さて、その金です。

品物を受取ったはいいが、幾ら払ったものかマゴマゴしていると、お粂が、

「七十両」

と教えました。

七十両、心得たと、金吾はよろこび勇んで紙入れを出しかけたが、どうして今日はかれ程な男が、こうも、たびたび血のあがったヘマを演じるのか、考えて見れば、屋敷を出た時に金子の用意などは無論していないので、紙入れを逆さに振ってみたところ、高々四、五枚の小判と一両に足らぬ小つぶがあるに過ぎないはず。

ハッと思って、ふところへ勢いよく入れた手を出しかねていると、腋の下からそッと蛇のように忍んだお粂の手が、重いものを残して誰の目にも分らずうしろへ隠れたのでした。