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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「あら、いやだ」
と、娘手踊りの連中が、こわそうに首をちぢめて見送ったのも無理ではありません。
「太夫さん、御案内して来ました」
と、出方の男が去ると、
「さ、おはいんなさい」
うすら覚えのあるお粂の声が内でする。
野槍をそこに立てかけて置いて、次郎はおずおずとビラ幕を捲り上げました。そして、女に無関心な彼の目にも迫るような濃艶な顔が、
「あら」
と、笑いながら迎えると、
「今日は」
取って付けたようにそう言ったきり、次郎はなんだか間が悪くなって、あとの言葉が出ないのでありました。
「ここは狭いけれど、私の世帯なんだからね、たれにも遠慮はいらないんだよ。さ、こッちへはいって、お菓子でもお食べ」
茶をついでやったり、お重箱の食物を出して与えたりしましたが、お粂がもてなせばもてなしてやる程、次郎はもじもじして、いつもの野趣の風がない。
けろんとして、鏡台のまわりの紅皿や白粉つぼ、釘にかけてある三味線や赤い長襦袢や浅黄繻子の衣裳、または金糸の元結をたッぷりかけた相手の人の唐人髷などを、物珍しげに見廻している。
それらの、あまり目馴れない強い色彩が、彼を脅迫するものですから、自然児の次郎の自然児らしいところは、ビラ幕の外へ立て掛けて来た野槍と共に、すッかりどこかに置き忘れて来た体であります。