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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「承知しました」
そして、水口の前を通る時、
「婆や、今夜は帰れぬかも知れない。いや、都合によると、四、五日はどうか分らんからそのつもりでな」
と薄暗い勝手のなかへ呶鳴る。
蛞蝓のように流し元で働いていた婆やが、ちょっと顔を出しました。久米之丞はそういったきり、肩をそびやかして扉なしの門をサッサと出て行く。
「あら!」
その出会いがしらです。
銀毛の馬からヒラリと降りて、その門柱へ手綱をつないでいた下げ髪の娘が、明るい声で彼の前に立ちました。
「やあ、月江様で」
「久米之丞」
「は」
「何処かへ出かけるところと見えるのね。じゃ、また来ましょう」
「暫く、暫く」
と、久米之丞はあわてて、
「出かけると申したところで、さして、急ぐ程の事でもござらん。ま、ま、どうぞ暫く御休息を」
「いいえ、私もべつに、用があって来たわけでもないのだから」
と月江は、ふさふさした黒髪を指ですいて、毛の根に沁みる涼風に眼を細めています。
久米之丞は、ふと、その眼元にウットリと気を奪られていましたが、八王子への急用は忘れたように、
「まあ宜しいではございませぬか、この見苦しい茅屋へ、お嬢様からお運び下さるなんて、光栄とも冥加至極とも、いいようのない欣しさでござる」