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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
そこで腕ぐみをしながら、未練に谷間を眺めていますと、山馴れた足どりで、二人のうしろを通りすがった者があるので、
「おう、町人」
金右衛門がよび止めて、
「そちはこの近郷の者らしいが、何処からか、この渓谷へ降りて行く道はないだろうか」
歩調を共にしながら訊きますと、男は簡単に、これから七、八町行った先の虚無僧岩とよぶ所から左に折れるがよいと教えました。
そしてなお、質朴な山家ことばで、その岩の近くで兄弟の虚無僧が返り討ちにされたという古い話や、この絶壁の下の渓流を星影川ということなどを、問わず語りに話してやまないものですから、二人もつい、男のあとに尾いて歩きながら、
「して、そちはこれから何処へ参るのか」
「へい、峠の甘酒茶屋へ参りますので」
「甘酒茶屋というのは?」
「中の峠を越えたその先の天っ辺で、すばらしい見晴らしのある所でございますよ。旦那様方も、これから甲府の方へおいでになるなら、いやでもそこに足を止めるでしょう」
「そうか。それでは、いずれその時に礼をするぞ」
「どういたしまして。じゃ、お気をつけなすって」
「御苦労だった。ここを左に降りるのだな?」
男の話した、虚無僧兄弟の血のような赤い深山草の花がさいている細い道へ、二人の姿がかくれて行く。