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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

そして、これはほんの少しですけれども礼のおしるし、納めておいて下さいな」

と、紙にひねッた小粒銀を、明りの届くところへ置きました。

最前から障子をしめきって、中でシンとしていたのは、手廻りの物、髪粧い、何かの身仕度を小まめにととのえていたものでしょう、あとは、草履の紐を結ぶばかりに、すっかり身ごしらえを済ましている。

お蝶です。

帯揚のうしろか、袂の中か、何処かにあの般若の仮面を呑んでいるお蝶です。

これから人も怪鳥の往来も絶えようという小仏の夜に向って、虫も殺さぬような小娘が、ただ一人で、この峠の絶頂を立とうというのですから、一方は、暫くあっけにとられました。

けれど、質朴な老婆心が、おいそれと、それをかんたんに送り出すものではなく、まあ御飯を食べて――と無理に坐り直させる。

そして、懇々ということには、この山越えが昼でも男の足に骨の折れること。また、夜に入って若い女がこうされた、ああされた実例など、お蝶を断念させようとして、いつまでも、家の外へ出すことを肯んじません。

元より、そんなことは、百も二百もお蝶は承知しておりますが、前に、口から出まかせな口実を言った手前もあるので、素直に俯向いて、聞くだけのことを聞くよりほかにない。