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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

江戸を離れた後、久しくふれない町の繁昌ぶりも、今夜だけは、お蝶にうるさい騒音としか響きませんし、また、往来の都会人の身なりと見くらべて、自分の装いをさびしく思う心も起きません。

ただ、注意するともなく、自然に目にはいったのは、

(江戸名題曲独楽娘一座嵐粂吉)

という辻ビラです。

行く先々にはりつけてあるので、いやでもそのビラが目につきます。ことに、江戸という字がなつかしい。やはりここは甲府です。お蝶にも旅の空のたよりない意識がどこかにひそんでいます。

東両国で見たあの曲独楽かしら、それとも、浅草の地内に興行していたあれかしら。

切支丹屋敷にいたころは、よく父の二官をだまして、両国や浅草のいろいろな小屋をのぞいて歩いたが……

そんな事を考え出しました。

そして途方に暮れて来た彼女の心が、無意識に柳町の小屋場の灯に吸われてゆく。

すると、ちょうど小屋場の二つ目の横丁から、スタスタと追いかけて来た見なれぬ男が、お蝶を追い越して振りかえったり、わざとおくれて小半町ついて歩いていたかと思いますと、人通りのすきを見て、

「お蝶さん」

と、見事に彼女の名をさしました。