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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「寄ってゆかない、この人は」

「薄情者」

「素どおりはひどい」

などと、この昼なか、多少人前というものもあろうに、容赦なく袂をつかんで、格子の前を離しません。

先生は弱って――と言っても、迷惑やら嬉しいやら分らない表情で、

「オイ、くすぐッたい、くすぐッたい、放せ放せ放せ」

と悲鳴と共に手を振っている。

「このひとは、おとといの晩、あんないたずらをして帰って、よくもしゃアしゃアとうちの前を通れたよ」

「さ、上がってらッしゃいよ」

「堪忍してあげるから」

「上がらないうちは、通さない」

屋根びさしにはカンカンと陽がある時刻ですから、馬春堂先生たりとも、多少きまりがわるくなって、

「ばか、人が見るぞ」

「見たっていいじゃないの、わたしの色だもの」

「あやまった、助けてくれ」

「意気地なし」

「なんでもよろしい、今日ばかりは勘弁勘弁。わしは喧嘩を見に来たんだからな」

「喧嘩なんか、とっくの昔におしまいですとさ」

「それならまた来るよ。出直してな」

「うそばッかり」

「ア痛っ」

背なかをどやしつけられて、やっと放免された馬春堂先生、ほうほうのていで抜け裏を出て来ましたが、さすがに、色男にはなりたくないものだと、例の長い顎をなでてみる自信もこの時はないようでした。