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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「ばかな!」
かれは、今の、不快な想像をうち消して、
「お蝶に限って、そんなことのあるわけはない。わしを異国人と思うて、伝八めが気をもましてみたのじゃ」
自ら気をとり直して、雨戸を閉めたり、書物を片づけて、膳の前にきてみると、お蝶は、親の目にも見とれるくらい、濃厚な夜化粧をいつのまにかして、父の給仕を待っています。
「つけて貰おうか」
「生憎、温かい物が何にもなくなって……」
「いや、結構。だがお前は、今し方までどこへ行っておったのだ」
「御門鑑をいただいて、坂上まで、買物に行ってまいりました。お父さんの煎薬やら、私の、あの、春着を縫う糸なんかも……」
もの言うたびに、黒髪の蔭で金の蝶簪がキラキラする。気をつけてみると、半襟や帯、袖口からのぞかれる襦袢といえども、それは、山屋敷に住む者の娘などとは思われない贅沢ずくめ。
貧しい二官は、お蝶が自力で、春秋の粧いを見事にやってゆくのを変には思ったが、聞いてみると与力の奥様に貰ったとか、縫い仕事をして求めたとか、巧みに言ってぬけるので、そうかしらと、信じて少しも疑わない。
「世間を知らないお父さん――」
お蝶は、自分の父が、事情に暗い異国人であることを、ある時は、幸せだとさえ考える折があります。