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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
時々、虫の音がハタと止む。
根こそぎにされた鶏血草がうごきます。わずかに、土がうごいています。それが止むとまた虫が啼きすだく……。
なぜあれを助けてやらないのか。屋内の細い灯はあまりに冷酷ではないか。ごらんなさい、奥をのぞくと古簾を垂れて、じっと虫の音を楽しむごとく手枕で横になっている人間が見えますのに――。
般若の口笛
同じ日の夕方のこと。
八王子の宿の灯を遠いうしろにして、満目、芒と露ばかりな武蔵野の一路をたどって来る佳人があります。
ところどころのゆるい小川は、観世水のような紋様を流し、空には、蒔絵師の指で研いだような細い夕月がある。
「次郎や」
下げ髪の人が言いました。
「はい」
「なんて美い虫の音だろう。どんないい楽器を持って、どんな声のいい歌い手が集まっても、こんなわけにはゆくまいね。おまえも口笛を吹かないの」
「おいらの口笛なんか、ちッともいい声でありゃしないもの。折角ないい虫の声が濁ってしまうでしょう」
「そうでもないよ。おまえが退屈まぎれに、毎日小仏で吹いていた口笛は、なんともいえない上手だったよ」
「あれはねお嬢さん。高麗村の臼挽き歌をやっていたんです」