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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「また来年の春になったら、熱海の海辺へ行って、駆け出してみたい」
「あの汐鳴りを耳にうかべると、おりんもいつでも、行って見とうございます。それにしても、相良様は、どうなすったでございましょうね」
「りんや……」と月江は琴のそばを離れて、
「お前もまだ、あの方のことを覚えておいでかえ」
「ええ、折にふれて、思い出すのでございますよ。御病気はなおったかしら? あの御一緒の部屋にいた、美しい伝法な女子はどうしたろうかなどと」
「ああ、あの下町風な……」と月江は憂鬱になって、暫く間をおいてから、「――お粂とかいう女だろう」
「お嬢様とは、顔を見合わせても、口もきかないような女で、いつでも私たちを、じろりと切れの長い目で見て通りました」
「あの女は、いったい金吾様の何なのだろうね、御姉弟ではないようだし」
「夫婦にしては似合いませぬし、まったく妙な道づれでしたが、あの騒ぎが起った最後の晩には、とうとう、金吾様は女を捨てて姿をかくす、また女は、夜ッぴて金吾様を追って海辺を叫んで歩いておりました」
話のうちに、両女は当夜の波風を思いだして、思わず、襟元をぞっとさせています。
ちょうど、そうした話の切れた時です、奥まった庭の深い暗に、竹でも裂けるような物音がひびいて、一瞬の寂寞を破りました。