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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

「おやっ?」

と、つい十日程前の奇禍におびえている魂が、新しい身ぶるいを起して、おりんのひとみを悸めました。――そして思わず、彼女の唇が、

「誰か来てください!」

と、叫ぼうとした時、内玄関にある訪鐘が、誰かこの夜中の訪問者の手によって、静かに二つ三つ鳴り揺れて聞こえます。

この狛家に、滅多に夜の来訪者などはあった事がないので、門の訪鐘が鳴りおとずれても、郷士たちは奥深い詰部屋に寝込んだものか、即座にオオと出てゆく取次もありません。

で、そこに訪鐘がありながら、

「お頼み申す。おたのみ申す」

と、来訪者の声が幾たびか、繰返されているようなので、最初は、耳を疑っていたおりんも月江も、

「おや、この夜中に、誰かお客様のようだが」

「侍たちを起しましょうか」

「とにかく、ちょッと出て行ってごらんよ」

「はい」と、おりんは今しがたの庭の物音に、まだ幾分か胸の鼓動を感じながら、手燭をともして玄関前の杉戸をひらきました。

そこの式台へ明りの影がさすと、訪れた人々は、会釈をもって待ちながら、

「夜分、御静居をおさわがせ申して、まことにぶしつけではござるが……」と、鄭重に小腰をかがめる。