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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「ふーム、では、万太郎の如き、迂遠なまねをしていては駄目だの」
「おそれながら、今のままでは、御失望が目に見えております。しかし、お案じ遊ばすな、及ばずながら、千蛾ができうる限りの、御助力をいたしましょう程に」
「ほ。そちがわしを助けて、夜光の短刀を身のものにして見せるというのか」
「ついては、千蛾が折入って、お願い申す一儀がござります。あえて、御尊体を別室までお運び願いました次第、なんと、お聞き届けを願われましょうか」
そういうと、千蛾はさらに畳をすべって、白扇を寝かしたように平伏しました。常に、村の将軍家と異名されるほど、見識の高い御隠家様自身が、かくも、身をへりくだって頼むというのは只事とも思われません。
ことに、夜光の短刀の望みさえすてて、それにも代えようという頼みは何でありましょうか?
昼のようだった庭面の月が、うすい雲の膜につつまれて、月蝕の晩のようなほのぐらさでした。
その頃、例の奥まった所にある石神の拝殿に腰かけていた一つの人影が、名月や池をめぐりて夜もすがら――そんなふうに、ふところ手をして、秋草の間をあるいていたかと思うと、いつか、千蛾の部屋の窓明りをぬすんで、その雨落ちの下に、盲蜘蛛のようにかがみ込んでいました。