후리가나로 읽는 일본 고전
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こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
柳田 国男의 故郷七十年(こきょうしちじゅうねん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 257,350자 · 507화면
私の生家
昌文小学校のことなど
古い文学にある、「丘に映る」ということばからつけたもので、もちろん音で映丘と訓まれることは覚悟の上であった。
私の生家
昌文小学校のことなど
さて、私は子供のころから体が弱かったので、茨城県の北相馬郡布川町に行って医者をしていた長兄の鼎の許に預けられることになった。次兄が夏休みの帰りに私を伴ったのはそのためで、私は十日あまり東京の兄の下宿にいて、そこから船橋――印旛沼のほとりを人力車に揺られていった。鎌ヶ谷街道という悪い道だった。兄の許で二年あまり学校へも行かずにぶらぶらして過ごしたのだが、あとで考えると、よほど体が弱かったらしい。
もっとも、私は五歳の時に辻川の小学校に上っているから、九歳で当時の田原にあった昌文小学校をすでに卒業し、北条の町に移って高等小学校へはいっていたわけだ。
ここで一寸そのころの小学校の思い出になるが、小学校は全国的にみな難しい漢字二つの校名をつけていた。田原が昌文、南田原が柔遠などの美名で呼ばれていた。明治十八年には、はじめて学校が新築された。それまでは寺を使っていたのが、その年に金を集めて新校舎を建設した。そこではじめての卒業式を盛大にやろうということになって、県令(知事)がその式典に臨んだ。