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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「根岸のお屋敷だって?」
「はい、前には徳川万太郎様が押し込められていた窮命屋敷で、先頃からそこに御厄介になっている狛家の召使い次郎と申す者でございます。或る急な事をお知らせしたいと、わざわざそこから飛んで来たんですから、お留守なら帰るまで待たして置いてくれませんか」
「何か知らないが、じゃ寒いから、内へ上がっているがよい」
「どうも有難うございます。ここから上がってもようございますか」
「今、雑巾を上げるから、それで足を拭いて上がっておいで」
「折角、お寝みのところをすみません」
「さ、ここへ置くよ、雑巾を」
「はい、はい」
「そして、真っ暗だから、ちょっと其処に待っておいで、今、明りを持って来て、部屋へ案内して上げるから……」と、縁座敷の障子を開けて、奥に細く灯っている丸行燈の燈芯をかき立て、それを左にさげながら、寝巻の小褄を取ってスルスルと出てきました。
円い灯影の輪が、女の白い腮から面長な顔を逆さまに撫でて、暗い天井を海月のようにふわふわとうごいて来る。
すると、次郎は初めて愕然として、
「やっ、おめえは熱海で逢ったことのある、江戸のお粂さんという女じゃないか」