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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
お粂は螢を一ツ手のひらに入れました。
その青い明滅が、自分の直前の運命を暗示しているものとは元より知らない気紛れに――です。
青田の道をきれると、森を廻っていくほどもなく、小高い土手の向うに、一条の幅のひろい河面が見えます。
「旦那、畷へ来ましたぜ」
「お約束の信玄畷ですが」
肩をはずした駕籠かきが、居眠っている九兵衛の膝をゆすぶって言いますと、
「ウウーム……」
と中で伸びをして、
「もう畷かい?」
「ごらんなせい、荒川が見えまさ」
「なるほど」
まだ眠たそうに駕籠をおりて、
「それ、酒代」
「ありがとう存じます」
かご屋の明りが遠く去るのを待って、九兵衛はゆるい足どりで先へ歩き出しましたが、
「時に粂吉、もう何刻だろうな」
「さっき途中で、どこかの鐘が八ツ半をついていたようですよ」
「八ツ半かい。ちょうどよかろう」
「この辺には、あまり商人家もないようなのに、その荷元の家というのは、一体どの辺なんですえ」
「荷元といっても、大きな機屋さ。江戸者の考えで、商人家だと思うと大間違いで、それや大きな森のなかにある百姓だわな。だが、ここまで来て考えてみると、そういう固苦しい取引先へ、おまえのような垢抜けのした女を連れてゆくのは、少しわしの信用にかかわります。