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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
「寝ちゃあいけねえ。何しろ、油断のならない妙なところだ。寝るな、寝るな、寝入ってしまってはいけないぞ……」と、しきりに眠気をこらえていましたが、いつのまにか、彼の意識も霧のように、ぼやッと、わからなくなったまま、前後のけじめを知りません。
トロ、トロ……と炉のなかの暗紫色の火が、それからの、うごかぬ景色を明滅させておりました。時間にして、約、半刻ばかりの間……。
「寝た振りをしているのかと思ったら、ほんとにヘタばってしまやがった。……おや、お蝶も」
やがて、むっくり起きたのは秦野屋九兵衛です。炉を離れて、これも他愛なく寝入っているお蝶をながめて、自分は、足へ脚絆をつけ初める。
彼は、この盆地の小屋に落ちつく前に、万一の場合を思って、ひそかに用意の解毒を服んでおきました。これは当然な心がけで、その用意を忘れて、あてがわれた馳走を遠慮なくたべながら、油断するな、油断するな、と言い合っていた新助や雲霧は、まだまだ彼の目から見れば若いものだと言いたいでしょう。
脚絆わらじをつけると、九兵衛は、小屋を出てどこかへ姿を消しました。
* * *