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えどさんごくし
江戸三国志
吉川 英治
「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页
夜霞のあるせいか、江戸川の窪の向うに、いつもは近く見える矢来の天文櫓の灯が、今夜は、海のあなたほど遠く見える。
「なあ、馬春堂」
「ウーム?」
「陽気もだいぶ楽になったなあ、今夜あたりが、おぼろ夜っていうやつだぜ」
「そうさ、俳諧にもあったっけ」
「俳諧ってなあ、なんだい」
「そう聞かれちゃ、ちと困る」
「おめえもやるのかい」
「多少は心得がある」
「悪党の癖にしやがって、俳諧なんて作る法はあるめえ」
「悪党だって、絵の上手なのも居るし、家で盆栽をいじっている奴もある。現に、木鼠の三公なんかは、巾着切りは下手だが、伝馬牢へ入ると、時々、句を作って出てくるそうだ」
「量見のよくないやつだ。おれなんざ、おぼろ夜となれば、ひとりでに考え方が違ってくる」
「どう違うのかな?」
「やたらに、仕事がしよい晩だと思って、気が研げてきて仕方がない。――どうも馬春堂、おめえは少し、悪党にしちゃ半端でいけねえ。もう少し苦汁が抜けて来そうなもんだ」
ぶらぶらと歩いてくる二ツの人影。
やがて、二本松の石神堂で足を止めると、伊兵衛は肩の振分を下ろして、
「ウム、仮面箱を隠しておくにゃ、ここはお誂らえにできている」