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えどさんごくし

江戸三国志

吉川 英治

「報知新聞」報知社、1927(昭和2)年10月~終号未詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 577,271 字 · 1141 页

青空文庫

お蝶は、いきなりそれへ身を入れました。

しかし、乗るにも呼吸のあるものを、夢中で籠のなかへ身をまろばせ込んだのですからたまろうはずはない。

とたんに――

長い蔓繩は左右に大きな波のうねりを打ち、キキキキキッ――と車啼きを立てた籠は、お蝶の体を振りこぼしてしまいそうに絶壁を離れてすべり出しました。

わずか、一歩あとから、

「あッ」

という日本左衛門の声が岩頭に聞かれました。

お蝶の籠を食い止めようとして、もしも彼が不用意に、風に乗った紙鳶糸の如く勢いよく行ったそこの繩に手でもかけようものなら、上の綱を走る小車の力に引かれて、自分の体も岩角からトンボを打って奈落へのぞんでいたかもわかりません。

それがなかったのは彼のために僥倖でした。平常は沈着といわれる者にでも、咄嗟という秒間には、ずいぶん理智をはずした行動のあるものです。――が、日本左衛門の咄嗟の手が、この危険にふれなかったかわりに、彼としては第二段の失策を見事にやってのけていました。

すでに、お蝶の身が、手の及ばない谷間の空へ勢いよくすべッて行ったので、しまッた! と意識なくうごいた彼の手が、なんの猶予なく、宙へ架けられてある籠わたしの太い綱を抜き打ちに切ッて払ったのです。