후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
こきょうしちじゅうねん
故郷七十年
柳田 国男
柳田 国男의 故郷七十年(こきょうしちじゅうねん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 257,350자 · 507화면
たまたまその会の席上すすめられて作った七言絶句がいい作であったため、「学問をさせよう」ということになり、姫路藩では最後の儒者だった角田という先生の娘婿、田島家の弟として一時籍を入れ、田島賢次という名で仁寿山というところや好古堂という学校で修業した。やがて医者となり辻川に帰ったが、父の祖父左仲同様に流行らない医者で、思いあまって閉業しようとした矢先き、姫路の熊川舎という町学校の舎主として赴任することとなった。この熊川舎は町人が醵金して創設した学舎で姫路学風の誇りともいうべきものであった。私の家は、明治初年まで相応な暮しをしたのだが、維新の大変革の時には、じつに予期せざる家の変動があり、父の悩みも激しかったらしく、一時はひどい神経衰弱に陥ったともきいている。ちなみに、私には次兄通泰の上、長兄鼎の次に一人亡くなった俊次という兄がいた。姫路野里の芥田という呉服店に働きに出、一時は家計を助けたが、間もなくその店で失敗し、大阪へ出て新規蒔き直しをしようとした矢先き、明治十六年九月十二日腸チフスで亡くなった。年は十九であった。夜半、飛脚が兄の訃報をもたらしたさいの、一家の悲歎がいまも私の記憶に残っている。