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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

心猿

一

その小松谷まで来ると、

「――ここじゃよ、わしの仮住居は、なんと暢気なものだろうが」

青木丹左は、連れて来た朱実をふり顧って、うす髭の生えている上唇を剥いて、にやりと笑う。

「ここですか」

失礼とは思いながら、朱実はつい問い返した。

ひどく荒れている一宇の阿弥陀堂なのである。これが住居というならば、この附近には、堂塔伽藍の空家がずいぶん少なくない。この辺から黒谷や吉水のあたりは、念仏門発祥の地であるので、祖師親鸞の遺跡が多いし、念仏行者の法然房が讃岐へ流されるその前夜は、たしかこの小松谷の御堂とやらにあって、随身の諸弟子や帰依の公卿や善男女たちと、わかれの涙をしぼられたものである。

それは承元の昔の春だったが、今夜は、散る花もない冬の末、

「……おはいり」

丹左は先へ御堂の縁へ上がって、格子扉を押しあけ、そこから手招きをしたが朱実はためらって、彼の好意に従ったものか、ほかへ行って独りで寝場所をさがしたものか、迷っている様子に見える。

「この中は、思いのほか暖かいのだ。藁ござだが、敷物もあるしな……。それとも、このわしまで、さっきの悪者のように、恐い人間と、疑っているのか」