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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

旧約

一

「おういっ、権叔父……権叔父……」

波は暗くなった。

燃やしても燃やしても、権叔父の体は温かくならなかった。だが、お杉隠居は、まだ不意に権叔父が口をきき出すもののように信じて疑わないらしく、印籠の薬を噛んで唇移しにふくませたり、体をかかえて揺すぶったりしながら、

「まいちど、眼を開いて下され、ものをいうてたもい。……これ、どうしたものじゃ、この婆を見捨てて先へ逝くという法があろうか。――まだ武蔵も討たずに、お通阿女の成敗も果さぬのに」

旧約

一

海鳴りと松かぜに暮れてゆく障子のうちに、朱実はうつらうつら昏睡していた。枕を当てがわれると急に発熱して、頻りとそれからは囈言をいう。

「…………」

枕の上の顔よりも青じろい顔して、清十郎はその側に寂然と坐っていた。自分が蹂み躪った花の痛々しい苦悶に対して、自責の首を垂れたまま、さすがに彼の良心も苦悶しているらしい。

野獣にもひとしい暴力をふるって、この明朗な処女を本能の餌にして満足を感じたのも彼という人間だし、また枕許につき切って、精神的にも、肉体的にも、一時人生を失ったその処女の呼吸や脈搏を心配しながら、じっと、厳粛そのもののように硬ばっている良心的な人間も、同じ吉岡清十郎なのである。