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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

二

白々と、元日の町の屋根や橋は、初霞の底から和やかな線をぼかしはじめたが、まだ空には星がよく見えるし、東山一帯のふところは、墨のような暁闇だった。

三条仮橋の下をくぐると、武蔵は河原から堤の上へ姿を現わし、大股に歩き出している。

婆は、

(武蔵待とう)

何度か、呼ぼうとしては、相手の隙とか、距離とか、さまざまな条件を老婆らしく緻密に考え、数町の間、引き摺られるように歩いてしまった。

武蔵は知っていた。

先ほどから疾くそれと知っていたので、彼はわざと振向かなかった。振向いて、眼と眼が、かち合ったら、その途端、お杉が選ぶ行動は分っているし、老婆とはいえ、切れ物と死に物狂いで来る以上、こちらが怪我をしない程度のあしらいは酬いなければならない。

(恐い相手だ)

と、武蔵は心から思うのだった。

村にいたころのたけぞうなら、すぐ撲り倒して撃退するか、血へどを吐かせて伸ばしてしまうであろう。だが今では、そういう気にはなれない。

恨みはこちらの方にこそあるので、婆が自分を七生までの仇かのように狙っているのは、まったく、感情と誤解のこぐらかりに因づくので、それを解けばわかるのだ。