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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

しかし、片方の眼は、眼つぶしを食ったように烈しく痛むし、左の肱は、かすり傷ではあるが、そこから滴り落ちる血しおに袂が染まるほどだった。

(不覚!)

と気のついた時が、もうその不覚を身に受けていた時だったのである。彼として、こういう先手を先に取られて、手傷まで負った例は今までになかったことだろう。――けれど、これは勝負というものではない、なぜならば、武蔵には全然この老婆に対して闘志がないからである。最初から、勝つことも敗けることも考えていなかったに違いない。至って体も敏捷でないこの老婆の刃向いなどは、彼の意識にも入らないのが当然でもあった。

しかし、それがそもそも不覚というものではあるまいか。兵法の大乗的な見地から観れば、これは明らかに武蔵の敗れであり、武蔵の未熟さを、見事にお杉婆の信仰心と切っ先が、暴露して見せたものといって差しつかえなかろう。

自身、その不用意を、武蔵も、はっと気づいて、

(過った!)

同時に彼は全力を出して、なおも図に乗って来るお杉の肩を、とんと一つ、平手ではたいた。

「あっ」

四ツ這いになったお杉の手を離れて、刀は遠く飛んでいた。