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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

六

「おばば、ここで辛抱しておるがよい。――やがてそのうちに、又八がやって来るだろうから」

「な、なにするのじゃ」

隠居は、武蔵の手や、辺りの苫を刎ね退けて、

「又八など、ここへ来るはずはない。オオ、察するところ、われはこの婆を、ただ返り討ちにしただけでは腹がいえず、五条の人通りへ曝し物にし、わしへ生き恥掻かせてから殺す気じゃの」

「まあ、なんとでも、思うているがよい。そのうちにわかる」

「討てっ」

「ははははは」

「何がおかしいぞよ。この婆の細首一つ、ばさりと落すことが出来ぬのか」

「出来ない」

「なんじゃと」

婆は、武蔵の手へ咬みついた。やむを得ぬ手段として、武蔵が、婆の体を船桁へ縛りつけようとするからだった。

武蔵は自分の腕を、存分に婆の口へ咬ませておきながら、ゆるゆると婆の体を縛ってしまった。

抜刀のまま提げて来た脇差は、鞘へおさめて、婆の腰へ元のようにもどして与え、そして立ち去ろうとすると、

「――武蔵ッ、武蔵ッ、汝れは武士の道を知らぬのかッ、知らずば、教えてやろう。まいちど、ここへ寄って来うッ」

「――後で」

一顧したまま武蔵は、堤へ足をかけたが、まだうしろで、お杉が呶号して止まないので、戻って行って、婆の上へ何枚も苫をかぶせた。