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みやもとむさし
宮本武蔵
吉川 英治
04 火の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页
六
朱実は誇って、
「どうです、これでもないといえますか」
「伝説だよ、取るにも足らん歌よみの嘘だ」
「住吉にはまだ、わすれ水、わすれ草などという物もあるんです」
「じゃ、あるとしておくさ。――だが、それが一体何のお禁厭になるのかい」
「わすれ貝を帯かたもとの中へ秘しておくと、物事が何でも忘れっぽくなるんですとさ」
「その上、もっと忘れっぽくなりたいのかい」
「ええ、何もかも忘れてしまいたい、忘れられないために、わたしは今、夜も寝られないし、昼間もくるしいんです。……だから捜しているの。あんたも一緒になって捜してくださいよ」
「それどころじゃない」
思い出したように、その門人は足の向きを変えて、どこかへ駈けていってしまった。
六
――忘れたい。
苦しくなると、そう思うほどだったが、また、
「忘れたくない」
朱実は、胸を抱いて、矛盾の境に立った。
もしほんとにわすれ貝という物があるならば、それはあの清十郎の袂へこそ、そっと入れてやりたい。そしてこの自分という者を彼から忘れてもらいたいと、ため息ついて思う。
「執こい人……」
思うだけでも、朱実は心がふさいだ。自分の青春をのろうために、あの清十郎は生活しているような気もちにさえ襲われる。